つれつれ大学生

もう大学生、まだ大学生。大したことは書きません。

ダメ人間の上智受験の話8

更新が随分滞ったが誰も見ていないブログなので関係がないだろう。

 

さて2月に入り上智に受かる可能性はほとんどないという中で始まった一般入試シーズン。

初めの入試はゲロを吐いても受かるという確信のあった大学だ。名誉の為に学校名、および学部名は控えさせて頂くが11月の河合センプレから考えて自分の偏差値マイナス20くらいだったのでまあ死んでも受かるとは思っていた。

実際行ってみると想定外だったことが何個かある。

1つは受験会場独特の雰囲気だ。最初に受けた大学は先述の通り偏差値が高いところではなかったのでまだマシだったとは言える。しかし必死に単語帳を見る周りの受験生、(上からの指示ゆえだと思うが)無愛想な試験官、そして誰もいない知り合いなど精神を削る要素が受験会場にたちこめている。可能ならば暖かいスープをフードポットに入れる、人からもらった応援メッセージを読み返すなどリラックスand自信をつける行いをしておくといい。

2つ目は2月ゆえの交通機関の乱れだ。2月といえば雪、そして首都圏恒例の人身事故からの大幅遅延だ。

試験会場に30分前くらいについておくというのは常識として早くついたところで上の要因によって試験開始時刻が1時間遅められるというのはままにあることだ。

そこで起きたのが1時間何して潰すか問題だ。初日の学校は舐め腐っていたので単語カード(普通の単語帳は覚え切ってた)と過去問演習ノートしか持っていなかったのでその1時間ほぼ寝るに費やすこととなった。寝るのも悪かないができるなら地歴の暗記物などをやりたい所だ。それゆえにこれから受験する方々には直前でサッと確認するための勉強道具+‪α‬を持っていくことをオススメする。

 

上に書いたような想像以上のことは起きたが初日の受験は想定していた通りまあ9割はいったであろうという体感であった。そのまま1日空けてそれなりに受かりそうな大学の受験、そしてその数日後...

2月某日、第1志望の上智大学某学科一般試験受験の日がやってきた。

 

優しい友達が「今日は眠れた?全力尽くして頑張れ!」とLINEを送ってくれた。私は背伸びして「寝れたよ!頑張ってくる」と返信した。実際のところ時間的には寝てようが全く寝た気はしなかった。

 

何回か来たことはあるものの受験票を握りしめて遥々やってきた四谷のキャンパスは完全にアウェーだった。試験官のおじさんは他の大学に比べても格段に優しげだったけれど、自分のこの大学に対する学力不足とこれまでの大学とは比べ物にならない周りの受験生の殺気がそんな優しさまで吹っ飛ばして極度の緊張状態へと至らせてた。

 

チャイムがなった。1時間目はいちばん苦手な英語。傾向は多少は変われどそこまで過去問と違いはなかった。

ただ、いくら考えても7割いった確信の持てる答案にはならなかった。「何か違うのではないか?」1問解くたびにそう思ううちに終わりのチャイムがまた鳴った。

 

絶望だった。高得点勝負の上智英語で傾向も変わらない年のしかも偏差値上位学科で7割行った感触がしない。

どうにか次の地歴で取り返してやろうと誓った。しかしその地歴も国語もぱっとしなかった。

 

受験後、美味しいものを食べてやろうと思ってよった料理屋。

麺を啜りながら涙が止まらなかった。料理の味などもはやしなくて涙のしょっぱい味だけが口に広がった。

受験生活後半こそナーバスになれどこの1年間、もっと言えば上智に志望校を決めた2年間の想いと労力が自分の力不足故にいとも簡単に砕け散っていくのを試験会場を離れてから嫌という程に実感した。

「もっとあの時ああしとけば…」

「もう四ツ谷に来るのもこれで最後だ。」

酒を飲んだわけでもなかったのに身体はフラフラのまま家路に着いた。

 

上智受験のダメージは大きく、それを見越してその次の日はどこも受験しなかったが体調を崩した。それでも仕方ないので鎮痛剤を飲んで残りのMARCHの受験を迎えることとした。

 

MARCHは体調の悪さはあるものの上智を経てからならば問題の難易度はさる事ながら雰囲気、また知り合いに会うこともあったので幾ばくかリラックス出来た。

 

あと○日で受験が終わる...上智大学を忘れざるおえないそんな感触を持って上智受験を終えた私はひたすらそんなことを思って受験会場に向かっていた。

 

見たら絶対MARCHも受からないしスクリーンに映し出される文字は分かってるから受験日の早さに比例して早く出る結果も見なかった。

 

そして最後の受験を前にした日、イレギュラーな事態が起こったのである。

 

つづく